掲示板・過去帳

1998年 / 1999年9月まで / 2000年2月まで / 〜2001年12月


[24] カリン側用人 - [99/9/7 01:32]
津谷さんリンクに、
SAMさんと修司さんにご参加頂けました。

ありがとうございます♪

追加・変更等ありましたら、ご連絡下さい。


[23] 津谷 修司 - [99/9/5 17:34]
宇多津町について
約1300年前、瀬戸内海を往来する船着き場として「津の郷」と呼ばれ、大化の改新には「鶏足津」、明治23年に「鶏足津村」そして明治31年に「宇多津」になった。
室町時代初期、3代将軍足利義満の執事で四国官領の細川頼之が青の山に居館お設け、
57年間にわたり瀬戸内海の中西部に勢威を張り、政治、文化の中心地として宇多津は、四国の統括の地だった。
江戸時代初期、塩の生産を開始し昭和47年塩田廃止まで全国有数の「塩の町」だった。大束川とゆう,海につながっていて、船が通れる大きさの川がある。
修司さん、こんにちは。

http://www.mapion.co.jp/cgi/m?no=3091445000182750000
ここから地図をみれました。
「鶏足津」という地名は地形からきたのか、
それとも音に対して漢字を当てはめていただけかしら?
現在の地形は埋め立てなどで造られたような気もしすね。

塩田が盛んで随分栄えていたところなんですね。
地方からの人の出入りも激しかったのかな?
ん〜なるほど! 海民なんですね。

ところで、メール届いてますか?
[From カリン側用人]


[22] カリン側用人 - [99/8/31 17:18]
宇多津町って、ちょっと不思議ですね。
新名さんのページでも登場する、綾歌郡の一部で、
それも隣は坂出市と丸亀市。
瀬戸大橋線が通っているんですね。
川もあるし、う〜ん、
船はお出かけの必需品のような地だったのではないでしょうか?


[21] 津谷 治 - [99/8/29 11:09]
三重県では、つや・つたに・共に津谷姓は、
約30名・・・・・世帯では多分100名くらいまで
というのが各県別では少ないのか、多いのか・・・
僕も兄弟は、姉ひとり・・・・嫁いでいるので
姓も変わって・・・・高一の息子が
お婿さんに行かないことを祈るばかりです。(笑)

治さん、再訪ありがとうございます。(^^)

津谷姓は世帯数が少ない部類に入るとか。
確か、我が津谷家のある宮崎県延岡市における津谷姓の世帯数は
15ほどでした。
親類の中には他県にそっくり移動しているとこもあります。
市役所では『つたに』または『つだに』とも呼ばれてますから、
延岡市の津谷家が皆『つや』ではない事を知りましたが、
どうしてかなぁ? とハトコと話していたんです。

あ、いましたよ、こちらには。
1人息子なのに相手の名字になったってヒトが。
昔むかぁ〜し遊びに行くと、私はいつも彼についてまわった記憶が。。。。
どうしてるのかなぁ?一緒に蝉取りしたよね。
魚肉ソーセージに、マヨネーズとソースを混ぜたのを付けて食べるなんて、
驚かされたなぁ。。。。(童心に戻りつつサヨナラ)


[From カリン側用人]


[20] 津谷 治 - [99/8/27 10:31]
ちなみに、家紋は、ささりんどうです。
      
     伊勢近辺には8軒くらいでほとんど親戚関係です。

          妻一人・子供二人  津谷 治らいと
家紋、確認しました。
源氏一門が好んだ紋のようですね。
[From カリン側用人]


[19] 津谷 治 - [99/8/27 10:26]
 小さい頃から、葬式の一歩手前・・・・と、からかわれたり
しましたけど、つや、という変わった名前なので、憶えてもらえると
忘れないので、ルーツ探しをしたいなと、思っています!!

  全国 津谷サミットでも、やりませんか??

       昭和27年11月18日生まれ・ひいじいさんは、津市の江戸橋
          産まれだそうですが・・・・・

              ASAHIDO CO LTD 代表取締役 
治さん、 初めまして。
引き続き新しい書き込みがあり、本当に嬉しいです。

つや と云うと、「通夜みたいだな。」とこちらも云わた事があります。
あ、それが嫌で、親類の中には「つたに」読みで過ごしたりするのがいるのかも?
自分自身が津谷姓ではないので、想像した事もありませんでした。

海民説に何か重要な鍵を治さんが持ってらっしゃるような、
そんな気がするのは早とちりでしょうか?

メールしますね、ありがとうございました。

[From カリン側用人]


[18] 津谷 修司 (シュウ)17歳 - [99/8/27 00:15]
はじめまして津谷家のホームページがあるなんて感激です。香川県の宇多津町というところ住んでいるのですがここではツダニの呼ばれ方のほうが主流のようです。香川県には津谷家が少なく宇多津町では自分の家も含めて二家で、まわりの町には一人もいなかったと思います。私の家は江戸時代末期ごろに、蔦屋(ツタヤ)という材木商を営み明治ごろに津谷に改名したようです。残念ながら本家はなくなってしまい今では私の家しか残っていません、宇多津町にいるもう一つの津谷家は親戚ではありません。家系図は残っていません、家紋は蔦の葉を丸で囲んだ柄です。家紋柄を詳しく知りたかったり私の家や本家のちょとした情報があるのでほしかったら住所を書いているメールをくれれば郵便で送ります。もちろん送料はこっちでもちます!個人的なメールくれたらうれしいです。!!!!このメールで書いている私の家以外の津谷家の人々には絶対にコンタクトをとらないでください、住所や電話番号などを絶対に調べないでください、お願いします。
修司さん、はじめまして。
四国のどこかに津谷さんがいるのでは?と思っていましたので、巡り合えて嬉しいです。

ん〜、でも改名しているんですか。

ルーツ調べにはいろんな問題がありますので、
個人情報については慎重にならざるを得ません。
なので、ご安心下さいね。
あとでメールします。ありがとう!
[From カリン側用人]


[17] カリン側用人 - [99/8/3 01:18]
雪輪に剣花菱・紋を家紋World さんに教えてもらいました。
とってもキレイな紋です。

家紋Worldさん、どうも有難うございました。(;_;)


[16] カリン側用人 - [99/7/27 09:15]
雪輪に剣花菱(大阪の津谷さん家紋)が見つかりません。
難しいです。

たかしさん情報と共に津谷さん情報も『津谷リンク』へ。
貴重なご意見、ありがとうございました。


[15] たかし - [99/7/13 14:13]
 うちの母は秋田県鷹巣町(旧沢坊村)の出身で旧姓を津谷といいます。うちの祖父は鷹巣の津谷家の本家で世を去ってから今年で13年目になります。
 私はあまり詳しいことを知らないのですが、母から聞いた話しでは祖父は御家人でその先祖は奥州藤原氏にまでさかのぼるそうです。源氏の軍に敗れた藤原氏の一族の誰かが鷹巣町付近まで落ち延び、「谷津沼 ヤツヌマ」と名前を変えて暮らしていたところ・・・
 ここまでは祖父に話してもらったことを覚えているのだけれど、ここから先をどうしても思い出せません。
 まだ祖母にでも聞いてみれば分かるかもしれませんが・・・
 墓石には祖父を初めてとして16代前までの名前が刻まれています。それ以前は寺の火災で過去帳が焼失してしまっているとのことです。
 今度機会があれば祖母にでも聞いてみます。
たかしさん、貴重な情報ありがとうございます。
こちらも つやさんで宜しいですか?

坊沢のお話は、津谷さんリンクの中でもご紹介していましたが、
そういう経緯までははじめて聞きます。
お祖父様のお話しをそこまで覚えてらっしゃるとは、私も感謝したいくらいです。
お祖母様のお話も伺えればもっと嬉しいですね。

私の想像していたルートとは、また違っていますので、
可能ならばメールアドレスも教えて頂けますか?
是非、家紋についてもお伺いしたいと思います。

ksskids@geocities.co.jp
[From カリン側用人]


[14] 津谷 - [99/7/13 11:59]
 先程書き忘れましたが、家紋は雪輪に剣花菱です。
家紋情報、ありがとうございます。
津谷さんリンクにも参加して頂けますか?
[From カリン側用人]


[13] 津谷 - [99/7/13 11:54]
 私は大阪出身ですが祖父は広島出身です。広島市立図書館に
私の先祖の家系図があります。少なくとも毛利元蹴時代までは
正確にさかのぼる事ができます。それによると(なにせ達筆の
ためある程度しか読んでいないが・・・。)大内と毛利の
争いの折、大内方についたため領地がなくなり、山口の津谷村
というところに引っ込んだそうで、うちの家系はそこから
津谷を名乗るようになったらしいです。(以前は久保田だった)
そのご今の広島近辺に戻り、元禄の頃には浅野家の御殿医に
なりました。
 私もルーツを探っておりますので、どなたかお詳しい方、
情報を仕入れられた方はメールを下さい。お願いいたします。
はじめまして。
つやさんでしたら、同じ読み方ですね。
4年程前からNHKを常時見れるようになりまして、すっかり大河ドラマファンの
私としては、毛利元就なんたらと出てきては頭の中がひっちゃかめっちゃかになりそうです。(^.^;)

しかし、図書館に家系図があるなんて、貴重です。
私も見てみたいですけど、字が読めるのか心配ですね。

津谷家のルーツ探しをされてる方がいらっしゃるなんて、とても心強いです。
今後とも宜しくお願いします。
[From カリン側用人]


[12] カリン側用人 - [99/2/27 00:37]
ほんのちょっとだけ、ホントにちょっとだけ
マップに『こんなルートで南北に移動したのかな?』
というのを追加してみました。

真実は一体。。。。( ")?


[11] カリン側用人 - [99/2/6 00:28]
秋田の津谷さんからお葉書頂きました♪
ホームページのコピーを郵送したんですけど、

  『今回のホームページのコピーは私の宝物として、
   末長く子供達にも残したいと思っております。』

まだまだこちらの情報は微々たるものですけど、
とても嬉しいお便りでした。 (^-^)/ よっし♪


[10] カリン側用人 - [99/1/16 12:16]
神戸の道場町は幾つかの地区に別れているんですね。
URLはその地区のマップですけど、有馬川というのが流れていて、
池も数カ所みられます。
水が関係しているのは、津谷の特徴でしょうか?(^^)


[9] 玄太郎 - [99/1/12 01:55]
神戸市北区道場町の旧字名に上津谷という地名があったらしいです。
郷土史家の落合重信氏の著作に有りました。
玄太郎さん、いつもお世話になっております。
郷土史家の方の一覧表があったら、
とても助かるだろうな。。。。と、
    何時も思っていますけど。(^^)

早速マップで調べてみます。
有難うございます。


[From カリン側用人]


[8] カリン側用人 - [99/1/7 23:35]
     またもや北秋田鷹巣町情報♪ (新名正夫さんに感謝です)以下、そのまま引用。 

   川の行きつく先は、能代市、秋田県最大の木製品(木)の町です。
   米代川上流から秋田杉を流し、加工製品化する工場が林立しておりましたが
   現在の不況にあおられ、その数も少なくなりました。
   秋田県の三本の財産も一つ(鉱山)は無くなり後の二つも青色吐息です。
   (鉱山(黒鉱石油)、米、木材秋田杉)

と云う事は、宮崎の延岡同様に、山産物が豊かな土地だったという事ですね。
川を溯って切り出したりした木材や鉱石等を船に積み込んで、それを商いの地に運んでいた
海民の人々が、この地に移り住んだという仮説はあながち間違いではないかも。。。。
 
私たちが思っているよりも遥かに、私たちの先祖は移動しているのかも!


[7] カリン側用人 - [99/1/7 07:08]
先日の北秋田郡に多くいらっしゃる津谷さんについてですが、
地図を見ると鷹巣町は内陸部なので、海民としては『?』。
しかし結構大きい川があるので、これはどの位の規模なのか?
と秋田在住の新名さんに尋ねると、

    鷹巣と云えば米代川(第一級河川)川幅もあり
    船の往来には最適の川と思います。

(^-^) ちょっと推理が当たっている様で、ひとりニヤニヤしているのでした。


[6] カリン側用人 - [98/12/31 23:35]
    全国の津谷・津屋さん、

    Happy New Year !

日本より1時間早く1999年が来てしまったサイパンより。(^-^)/~


[5] カリン側用人 - [98/12/30 02:00]
秋田の津谷さんの家紋『丸に隅立て四つ目』からヒントを得て、
佐々木一族へと辿り着きました。

http://www4.justnet.ne.jp/~kmamiya/
佐々木庶流『間宮氏の歴史』

上記には
  寛永譜・寛政譜共に、武田氏の海賊衆で武田氏滅亡後、
  徳川氏の海賊衆であった間宮造酒丞が当家系図に結合され。。。。
という記述があります。
ここでも海賊というのが出てきましたよ。


[4] カリン側用人 - [98/12/29 22:23]
ヲ秋田の津谷さんヲ

先日、秋田の津谷さんたちにDM郵送を試みましたところ、
今日1通ですがお返事を頂きました。(^-^)

北秋田郡鷹巣町坊沢(旧坊沢村)が本籍地で、そこには昭和60年の
調査では、世帯数7,191のうち津谷姓は140世帯あるそうです。
(トップは佐藤姓の675で、6位になります)
家紋は、、、、後でアップしますね。

ここには2つの津谷・本家が存在するそうで、その片方がお返事を頂けた
方の本家になるようです。


[3] カリン側用人 - [98/12/24 23:44]
新名姓関係の本を読んでて、思わぬところに津谷姓を見つけました。
津谷姓トップにちょっと紹介しています。

全国の津谷さん、Merry Christmas ・


[2] カリン - [98/12/23 23:26]
掲示板が変わったよ。
津谷さんも津屋さんも遊びにきてほしいな。(^-^)


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