#### 岐阜県における『つや』 ####
岐阜県大垣にほど近い津屋という地名について関することを
こちらで取り上げてみようと思います。
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揖斐川中流の支流津屋川の右岸に開け、養老山地の東麓に位置する。 急峻な山地部と濃尾平野の接点に当たり、関ヶ原方面から桑名へ抜ける伊勢街道が通っていた。地名の由来は、古くは当地が伊勢湾に臨む港であったことによるという。三河国猿投神社古図にも海浜に津屋の名を記す。津屋川沿いの水田地帯はしばしば冠水による被害を受けた。
[近世]津屋村
[近代]津屋
津屋川つやがわ<南濃町・養老町> by 角川日本地名大辞典 |
地図をみながら少々補足すれば、
岐阜県と三重県の県境に南濃町津屋はあり、R56が通っています。
近鉄養老線には美濃津屋駅があります。
そのまま国道沿いに北へ進めば養老渓谷に向かいます。
揖斐川寄りに進んでみれば、大垣方面。
川を下ると行き先は三重県の伊勢湾。
揖斐川へは少々距離があっても、津屋川が直ぐそこに流れています。
またこの南濃町は、薩摩藩と深い繋がりがあるようです。
宝暦4(1754)年、薩摩藩は宝暦治水(伊勢・美濃・尾張)という砂防工事にかり出されました。
その工事は南濃町の羽根谷落口揖斐川の川浚え、山崎谷砂利除なども含まれており、多くの薩摩藩士が殉死するほど相当困難な事業だったようです。 |
大垣の津谷さんのご先祖に、綿屋のマンペイと呼ばれる方がいらしたそうですが、
関連がありそうな話がありましたので、簡単にですがご紹介します。
松坂や伊勢の商人たちが栄えた理由の1つに木綿があります。
木綿は全国に広く行き渡るようになったのは江戸時代に入ってからで、それまでの絹や麻よりも安価で品質も良く、松坂木綿という呼び名で知れ渡るようになったとか。 |
如何でしょうか?
綿屋とは、木綿の販売をしていたマンペイさんの屋号
という可能性もあるような気がします。
伊勢方面から往復していた商人が、移住したのかもしれませんね。
可能性の1つとして、ですが。。。。
しかし、津屋という地名と津谷という名字が
どう関係しているのかは、これだけではわかりません。um....
もしかしたら、伊勢方面からの移住とかではなく、
反対の可能性もあるやもしれませんし。
どうなんでしょうね。
Feb.2002