室町時代より貨幣経済が発展してからというもの、
姓に商売を意味させる者が現れ、その中に○屋というのがあるそうです。
この○屋には『扱っている商品』を意味する場合と、
『自分の出身地をつけたもの』の2種類があるそうで、
明治時代入ってから屋→谷とした場合もあるとか。
さて、我が津谷家が元々津屋だったかは定かでないが、
岐阜県立図書館に南濃町にある津屋城について問い合わせたところ、
肥後国の豪族に津屋氏という記述があるとの情報を頂き、
以下に引用しているのが件のものです。
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津屋 ツヤ ツノヤ 和名抄、阿波国板野郡に津屋郷を収め、都乃也と註す。 1)阿蘇氏族 肥後国の豪族にして、託麻郡健軍社の大宮司たり。 次に弘安元(1278)年六月二十四日北條時宗袖判文書に 2)雑載 大館日記に「下津屋三郎左衛門尉え、以使者(松本平兵衛尉)云々」と見ゆ。 ヲ姓氏家系大辞典 p3829より引用 |
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欽明十九(558)年、 |
さて、阿蘇氏とはなんぞや?という疑問が出てきた訳ですが、
それに関しては熊本大学附属図書館webに阿蘇家文書という資料がありました。
そこから健軍神社の阿蘇氏についての記述をまだ見つけられずにいます。
が、系図にはしっかりと上記にある阿蘇惟次以下の名前が記されていて、
惟盛と惟經(経)には津屋と記されていました。
また惟盛(健軍神社大宮司)の兄・惟義の子孫の惟村は肥後守護、
その兄弟・惟武は日向守護とも記されています。
津屋の名が阿蘇氏から日向に入ってきたとしたらこれはもしや、海民説を覆す事態に????