■阿蘇氏系図■

                                  
神武天皇┳神八井耳命………速瓶玉命………武凝人………角足┳平田麿………友成(阿蘇大宮司始祖)
    ┃                       ┣阿伎良           ┃
    ┗綬靖天皇                   ┗魚足            ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃
 ┃  ┏惟行━惟親━惟通  
 ┃  ┃                      ┏惟保
 ┗友仲╋是貞━惟助━忠助      ┏資永┳惟泰(阿蘇)╋惟次━━━━━━━━━━━━┓
    ┃              ┃  ┃    ┃               ┃
    ┗友孝┳友実┳友房┳惟俊━惟宣┻惟理┗惟門  ┣惟氏             ┃
       ┗友扶┣友元┣惟満━惟房        ┗惟文━惟風━惟久━惟正━惟武 ┃
          ┗友恒┗惟経                           ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┛

┃   ┏惟忠━惟家━惟重(竹永)
┃   ┃  ┏惟資━惟種┳惟永
┃   ┃  ┃     ┃
┃   ┃  ┃  ┏惟長┗惟澄┏惟村(肥後守護)━惟郷━惟忠━惟憲┳惟長(菊池)━惟前━惟賢━惟興
┃┏惟義┫  ┃  ┃   ━┫                ┗惟豊━惟種┳惟光
┗┫  ┗惟景┻惟国┻惟時┳女子┃                      ┗惟善━━┳友貞
 ┃           ┗惟直┗惟武(日向守護)━惟政━惟兼━惟歳━惟家(熊本藩士)   ...  ┗惟真
 ┃
 ┃
 ┣惟盛 (津屋)┳惟季━惟定(中村)
 ┃     ┣惟経(津屋)
 ┃     ┗惟成(上島)━惟秀
 ┗惟光

阿蘇惟賢(これかた):生年没年不詳
阿蘇惟前の子。父惟賢と共に薩摩に亡命。何度か阿蘇に攻め込むが1590年、阿蘇大宮司の阿蘇惟光に起請文を送って傘下に入った。

阿蘇惟前(これさき):生年没年不詳
阿蘇惟長の子。阿蘇大宮司。1513年、一族の阿蘇惟豊を攻めて大宮司の職につくが、1517年、 阿蘇惟豊の反撃にあって薩摩に亡命。1560年、阿蘇に攻め込むが失敗。

阿蘇惟豊(これとよ):1493〜1559
阿蘇惟憲の子。阿蘇大宮司。1505年、大宮司を継ぐが、1513年、一族の阿蘇惟前に攻められて 大宮司から退く。1517年、反撃に転じ、阿蘇惟前を破って阿蘇大宮司の職に就く。朝廷との繋がり が深く、従二位まで昇り、勅使の下向を迎えた。

阿蘇惟長(これなが):1480〜1537
阿蘇惟憲の子。阿蘇大宮司。阿蘇惟憲の後を継いで大宮司となる。1505年、菊池政隆を攻めてこれ を追い、菊池武経と名乗って肥後守護となる。この時大宮司を弟の阿蘇惟豊に譲った。1513年、阿蘇惟前を助けて阿蘇惟豊を追う。1517年、反撃を受けると敗れて薩摩へ逃れた。

阿蘇惟将(これまさ):?〜1583
阿蘇惟豊の子。阿蘇大宮司。1559年、阿蘇惟豊の死去後跡を継ぐ。この頃から龍造寺氏、島津氏ら の圧迫を受けて勢力を後退させた。家臣の甲斐宗運に助けられながら、かろうじて勢力を保った。

阿蘇惟光(これみつ):1582〜1593
阿蘇惟将の子。1583年、父惟将の死去で幼少の身ながら大宮司を継ぐ。島津氏に攻められて退却。 豊臣秀吉の九州侵攻で勢力を回復。佐々成政に属した。佐々成政改易跡は、加藤清正に属したが1593年の文禄の役の際の梅北の乱に連座して切腹させられた。

阿蘇惟善(これよし):生年没年不詳
阿蘇惟将の子。1593年、兄の阿蘇惟光が自害したのち、加藤清正に助けられて、阿蘇神社の大宮司 を継いだ。