新名姓 発祥の地を求めて。

 

【 新名(にいな)氏 】
 新名という姓も県下には多い。もちろんこの姓は宮崎だけではなく各地に散在しており、その系統もひとつに決まっているわけではない。
 だが宮崎には古くからある新名姓は、他とはすこし系統が違うように思うのである。例えば【延陵世鑑】という□に新名越前守という人の事が元弘二年(1332)のところに出ており、また康正二年(1456)の土持、伊東両氏の宮崎合戦の際にも、土持軍の将として新名石見守が出陣している。
 このように宮崎の新名氏は土持氏の重臣であったのみならず、その縁故の一族であったが、その姓は他の氏と同じ様に地名から出たものである。
それならば、宮崎に新名という地名があるかというに今はない。だが昔はあったのである。それは鎌倉初期の文書に日向の臼杵郡に新名荘という荘園があったことがかいてあるから確かである。
 この荘園の名は南北朝のときはすでになくなっていたが、前に述べたように鎌倉時代から南北朝ごろにかけて新名という地方武士に一団が擡頭してきた。これは後に土持氏に仕えて新名党と呼ばれた。
 この新名党という土豪つまり地方武士の団体は、新名荘から生まれたものであって、いわばこの荘園の開拓者の子孫であった。そして土持氏の幕下にあっては最も有力な武士団で、前に述べた財部土持氏(高鍋)が滅びた伊東氏との合戦では、大将新名石見守をはじめ、新名甲斐守、新名因幡守、但馬守、弥五郎らが戦士した。
 その後土持氏が大友宗麟に亡ぼされたため、新名氏もまた各地に分散するに至ったわけで、宮崎の新名氏の出身地は臼杵郡なのである。

『みやざきの姓氏』ひむか新書2 石川恒太郎著
 鉱脈社 より引用


 
土持神社 宮司
土持綱義さん

 

想像もしていなかった四国地方のしんみょう読み。
どちらにしても何も情報が掴めず考え倦ねたところで、
サーチエンジンで見つけた『みやざき歴史文化館』
藁をも掴む気持ちでメールを出した。
『四国の新名姓と九州の新名姓の関係を知りたいのです。』
そして、予想を越えてその時は早く来た。
メールを受け取ってから早々にご連絡頂けたのである。
『延岡市の新名種歳さんという方を紹介致します。』

上記、新名氏についての記述(延陵世鑑)はこの新名種歳さんが図書館で見つけ、
コピーを郵送してくれたものです。
この本との出合いから、少し新名姓の歴史が見えつつあります。

新名種歳さんは土持綱義さんと以前よりお知り合いで、
初対面の時に尋ねられたのが
『ウチの家老に新名姓があったが、貴方はご子孫か。』
今のところ、まだ謎です。

 さて、新名姓の皆様のルーツはこの新名氏に続くのでしょうか?

宮崎県の延岡市役所が運営するサイトの
延岡市の歴史(←クリック!)


 

この場を借りて、『みやざき歴史文化館』の待木順一さま、新名種歳さま、
土持綱義さまのご協力に厚く御礼申し上げます。

 

 ==大分歴史事典にあげられている新名氏についての記述==

佐伯惟治の乱 ( さいきこれはるのらん)

栂牟礼城 ( とがむれじょう)

 

『佐伯惟治は新名党の土民に襲撃され、無念の最後を遂げた。』
という記述には、土民ですか。。。。(-_-) そんな気持ちになったけど。(笑)

from Jan.2002

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