津谷姓は何処から?

 

少ない情報乍ら共通しているのが瀬戸内海の海賊説
新名姓・藤江姓と違い、現時点では士族にこの津谷という文字は見つからず。。。。
しかし、こちらのちょっと前の先祖は網元をしていたそうで、
どのみち海とは別に考える事は出来ない姓の様です。

この津谷姓については延岡市の歴史から辿っていくと、
この地へ海路を利用して移動してきた一族、
または同村の者たちの集まりではないかと考える様になった。
 

 
津谷家墓石
昭和40年代に建て直し
この後ろには土葬していた頃
の加工されていない墓石を
並べてある
左は戦死した兄弟の碑

 

大きなヒント!? 

我が津谷家の過去帳をまだ探せないでいるけれど、
隣の地区の津谷奈良一さんは
過去帳の原本を自宅に持ってらしたので、見せて貰いに伺った。
(因にこの津谷家は姻戚関係ではないらしい)
過去帳はあまりにも達筆なものでお寺でも解らず、
京都の何処かのお寺に頼んで書き直して貰ったとか。

さて、冒頭に記されていたのは、
●寛文四申辰七月二十八日(1664年)  津谷又右衛門 没
 先祖 紀州津谷村住人 津谷十郎宣中 孫
 母方者所 岩乎之淡路ノ須本ニテ戎屋權太郎ト申者同家之
 家紋:三つ葉葵
●文化八年十二月十七日(1811年) 伴次郎(初代)没
 清右衛門孫之父者 吉本屋惣蔵ト云人之
(伴次郎さんは上記・又右衛門さんの子孫です。山産物の問屋だったらしい)

この又右衛門さんの亡くなった年令をメモし忘れてしまったが、江戸幕府が
始まる前後に生まれ、十郎宣中さんはお祖父さんです。
暫くは名字も記載されていた。
ただ、やはり他家の過去帳という事もあり、全てを読むのは遠慮してしまった。

紀州津谷村は現存せず、現在のどの場所にあたるのか?
マップをみてご想像を!

ここ延岡は陸路が開発されるのに時間が掛かったそうで、
交通手段は海路中心だったそう。
大分方面や北川方面から木炭・木材・山産物を大阪に向けて船で持ち出し、
帰りは船のバランスをとる為に四国方面の石を積んで戻ってきていたとか。
(私の先祖に石工をやっている人もいる)
その石は結構大きいらしく、門柱等で現在も残っている。
人も船で渡ってきているそうで、四国出身者で商売に成功している人は多いとか。
晴れると海の向こうに四国が見渡せるロケーション。

 さて、瀬戸内海の海賊説は立証出来るのであろうか?(^_^)

 

『津』:川で船が発着するところ、「わたし場」を表す。
    みなと・ふなつき場・わたし場
『谷』:山と山との深く分かれた口を表す。
    山と山のあいだのくぼんだ所
 (角川最新 漢和辞典より)

 

★ 発見 ★

石川恒太郎氏が記したみやざきの姓氏という本の中に、
延岡藩における白瀬(しらせ)氏についての記述があるが、
そこに登場する白瀬永年(名:徳卿 安永四(1775)年生まれ)は
延岡藩主の持医であった。
当時の藩主(内籐氏)は宮崎で最初の考古資料を集めた殿様で、
永年も歴史を好んで延岡の伝説や系図等を集めて編集したのが
宮崎最古の郷土史延陵世鑑である。
その永年が10才の時に亡くなった母は
津谷氏であったそうだ。

 

★ 秋田の津谷さんについて ★

北秋田郡の旧・坊沢村には津谷姓の本家が2つあるそうで、
地図を眺めるとそこは内陸部。。。。
海民としては船での移動を専ら主にしていた筈だが、
しかしてそこには
米代川という第一級河川があった!
その川の行き着く先は能代市で、有名な秋田杉の産地であったそう。
米代川の上流から他にも山産物を下流へ流していたらしいので、
これは延岡市とも同じ様な歴史を持っていると仮定出来そうである。

果たして九州の津谷家と秋田の津谷家には何らかの繋がりがあるのだろうか!?
ありそうには思うのだけれど。。。。(--)?

from Jan.2002

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