カリンのルーツ探しのルーツとは?
by カリン側用人♀

 

1998年3月、最後に会った時はまだ小学生だったコーケンが、大学の春休みを利用して1ヶ月程サイパンに遊びに来ました。親類から遠く離れて育った私にハトコのコーケンと彼の兄は、唯一近くで育った実質上のイトコです。

久しぶりの再会に、私達は親の故郷である宮崎県延岡市や親類について取り留めもなく話をしていた。そこで彼が

『津谷(つや)という名字は秋田県に多いんらしいよ。
うちの先祖も秋田から流れてきよったかもしれんって。』

『えぇっ〜?』

考えてみれば私が延岡の家を訪問したのは小学生の頃まで数回?学生時代に1回?卒業してから行ったのが最後? あ、高校時代にコーケン母方のお祖父さんのお葬式に、学校を休んで行った記憶もある。。。。小学生の時に延岡へ転居した彼より、きっと私は親類の事を知らない?

 

東京に住んでいた頃とても親身な歯医者さんに出合い、色々と変?な質問をしていました。

『先生、私の上の前歯の裏は窪んでるんです。窪んでない人もいるんですよね。』

『あぁ、それは日本に始めに入ってきた人の名残りですよ。
新しく後から入ってきた人たちの歯は窪んでいないんだよね。』

私の近い先祖は九州にいて、彼等は大陸から初めて入って来た古い人たちの子孫なんだ! 等と勝手に意味不明な思い込みをしていた私には、秋田から移動説は一種のカルチャーショック。

 

ところでコーケンと親類の話をしていると、私だけでなく、彼も親類関係について知らない事ばかりなのだと実感。彼は日頃『**姉』と呼んでいたのが自分の叔母だとは知らなかったし、私も祖父母の兄弟が何人いるのか知らない。コーケンたちの両親をちょっと歳の離れた兄・姉の様に育ったから、ひとつ上の世代を叔父・叔母なんて呼べないし、そういう感覚を持ち合わせていなかった。

彼が帰国してから暫くして、サーチエンジンで探し物をしていると米国の某サイトにリンクされていた『ごんざべえのぺーじ』に目が止まった。

『ルーツ探しか、、、、』

米国のサーチエンジンには家系図についての紹介も有り、多分、移民の国だけあって日本人よりもそういう事に熱を入れて調べる人が多いのでしょう。まだ将来の事は解らないけれど、カリンも私たちの様に何も知らないままで良いのか? 今後彼女が成長していく上で、自分というものについて考える時がくるだろう。カリンがその時、国籍や性別だけで判断することなく、自分が何者で、どこかのカリンではなく、自分は自分であるという事実に気付いてくれることを希望するけれど、そこに存在する自分自身がどういったバックグラウンドをもってその時間を迎えるのか、前置きを知りたい日も来るかもしれない。そしてその時、しっかり答えてあげられるようにしたい。この頁は言わば将来の彼女へのプレゼントなのです。

ルーツ探しのサイトを訪問してから暫くして、これだけインターネットも普及して資料も集まるのだから、いっそネット上で探してみようか!?と突然思い立ち、無謀にもこの手の事は初心者のくせに『新名』『津谷』『藤江』の3姓に的を絞り、掲示板のみを設置してスタートするに至った。

何の情報も知識も持っていない私に、多くのアドバイスや情報を提供してくださる家系図メーリングリストメンバーの皆さま、このルーツ探しで出会った皆さまに、この場を借りて

ありがとうございます。今後とも宜しくご指導ください。(^_^)

 

現時点で3才のカリンが調べものなんてしてくれないので、
実際はカリン側用人が
あ〜でもない、こ〜でもない、わっかんないぃ!
とブツクサ云い乍ら、ぼちぼちメンテナンスしているサイトでした。

 

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from Jan.2002