福岡県webの各市町村紹介より、
魚楽園が美しい日本庭園であることは写真でご覧になれます。
ずっとずっと探していた魚楽園情報を頂きましたので、ご紹介します。

さて、藤江氏魚楽園とはなんぞや?

Q  荒平の藤江氏の荒平とは?

A  荒平とは地名の事です。ほんの少し前は、荒平村といわれていました。
   現在の住所は田川郡川崎町大字安真木となっていますが、今でも地元の人は
   荒平と呼んでいますし、地図でも荒平と掲載しているところが多いようです。

Q  地名の由来は?

A  ここの先祖は平家の落人といわれています。そのことから
   荒れた平家村という意味でつけられたのではないかと思われます。
   壇の浦の戦いで敗れた平家が大将の公家の人間をつれて隠れ住んだとか。
   大将である者が藤江と名乗りその家来はみな藤川姓を名乗ったと、
   そのため藤江は一軒だけで、周りの家は皆藤川姓です。

Q  藤江家の家系図はどのあたりまで?

A  家系図についてははっきりした事はわかりません。
   昔、火事にあい資料になるような物はほとんど焼失したとか。
   本宅、蔵などは焼けてしまい残ったのは現在の藤江家の住家である
   別荘と庭だけのようです。焼け残った古い資料などは北九州にある資料館に
   預けてあるそうで、古文書では、初めの祖先は訳あって名を記す事が
   できないと書かれているようです。

Q  藤江家は魚楽園とどのように関わっているのか?

A  300年以上前の事、雪舟というお坊さんが築庭しました。
   魚楽園とは藤江家にある庭のことです。それに隣接して家が建っています。
   国指定重要文化財に指定されているのはこの二つです。
   そして代々、土地の所有者である藤江家の人間が管理し、守っています。

Q  雪舟と魚楽園を含めた他の(島根、山口、大分)との関わりは、、、?

A  雪舟というお坊さんは山口の武家の生まれです。
   しかし、昔は長男である跡取以外はお寺に出されていたそうです。
   雪舟もまた然り。
   彼は、山口の大きなお寺に出されましたが、あまりに絵が上手かったので
   中国などに渡り勉強をしてきたそうです。
   しかし、彼が京の都に帰ってきたときにはすでに応仁の乱が勃発しており、
   安住の地をさがし九州へながれそして、落着いたのが藤江家でした。
   当主は快く雪舟を招き入れ別荘を貸しました。
   そこで、雪舟が描いた絵を基に庭園を造ったのが最初のようです。
   雪舟の造った庭園としては藤江家のものが最初だとか、、、。
   それから、大分や島根へ渡って同じように庭園をのこしています。
   最後は、故郷である山口で亡くなっているようです。

 

情報を提供して下さった方に感謝いたします。

 

 

 from Jan.2002